(聞き手:田川流大)
リロコーヒーのマネージャー、セキネさん。
「元舞妓のバリスタ」「着物を着てコーヒーを淹れる人」といったイメージが先行しがちですが、昨年からは 現場から少し距離を置いた働き方に。
セキネさんは不思議と、未知なる境遇に身を投じることを恐れず
大きな決断は直感に従うと言います。
非言語的で感覚的な核の部分と、ミクロな視点でどこまでも潜る 深淵な思考力。
この対照的な2つの顔が共存しているからこそ、
リロの調整役でありながら表現者であるという
本当に「セキネユカしてます」としか言いようがない仕事をしているのでしょう。
人との関係に焦らず、深い信頼関係を丁寧に築きながら
「セキネユカ」の表現は刻とともに層を重ねていきます。
最終回
セキネユカは表現者。
ルダイ
コーヒーという枠じゃなくてもいい、というお話がありましたが、コーヒーは一つのツールとして捉えるということですね。
セキネ
うん、そうだね。
ルダイ
ではお茶会では何を表現しようとされているのですか?
セキネ
あ、テーマは「私の思考」ですね。(笑)
ルダイ
セキネさんは考えることが好きですもんね(笑)
セキネ
考えること好きです!
ルダイ
うんうん。
セキネ
考えることが、好きです!
ルダイ
2回言った(笑)
セキネ
お茶会自体が私のアイデンティティみたいなところはあるよね。
ルダイ
へぇ〜!
セキネ
うん、他者に受け入れてもらう感覚が好きで、それがないと。というのが自分の中にある。
ルダイ
それは、日常のコミュニケーションの中でセキネさんという存在を誰かに受け入れてもらうこととは別に、非日常においてセキネさんの「思考」を表現して、それを受け入れてもらう感覚がいいということですか?
セキネ
はい、そうですね。日常では表現しきれない部分があるのね、私の中で。それを出してる感じ。
ルダイ
ふーん。
セキネ
日常会話で「考えること話しましょうよ」と言ったとて、そこに私の求めているものは出ないのよね。ただ自分で色々吸収して考えて、それをどこかで発表して、それを誰かに受け入れてもらうのは、感覚として別格なのよね。
ルダイ
うーん。
セキネ
だから日常で抑えきれていない部分をお茶会で出している感じはある。だから定期的に「あ〜なんかやりたいな」と思うようになる。
ルダイ
へぇ〜。じゃあその欲求はずっと持ってるんですね。
セキネ
そうだね〜。
ルダイ
出口を見つけた、と。
セキネ
そのためのツールとしての、お茶会です。
ルダイ
面白いですねぇ。
セキネ
なので結構、思想深めです(笑)
ルダイ
つい最近、コーヒー専門誌のStandart Japanにもセキネさんのコラムが掲載されましたね。そこではセキネさんを「リロコーヒーのアーティスト」と紹介していましたが、その芸術家的な一面はセキネさんの根幹を成す部分ですね。
セキネ
そうだね〜、表現者としての自分は結構好きです。
ルダイ
その一面は、意外とまだまだ知られていないかもしれないですね。
セキネ
そうだね、まだまだ。結構深めだからさ、広くいけないよね(笑)
ルダイ
そうですね(笑)
セキネ
広く深くは難しいんだけど、知ってくれている人は目に見えているから。それだけで嬉しいよねぇ。
ルダイ
これからもますます躍進されることと思いますが、今後もよろしくお願いします!
セキネ
よろしくお願いしまーす!
(インタビューは以上です。ここまでお読みくださった皆さま、ありがとうございました!)