(聞き手:田川流大)

リロコーヒーのマネージャー、セキネさん。

「元舞妓のバリスタ」「着物を着てコーヒーを淹れる人」といったイメージが先行しがちですが、昨年からは 現場から少し距離を置いた働き方に。

 

セキネさんは不思議と、未知なる境遇に身を投じることを恐れず

大きな決断は直感に従うと言います。

 

非言語的で感覚的な核の部分と、ミクロな視点でどこまでも潜る 深淵な思考力。

この対照的な2つの顔が共存しているからこそ、

リロの調整役でありながら表現者であるという

本当に「セキネユカしてます」としか言いようがない仕事をしているのでしょう。

 

人との関係に焦らず、深い信頼関係を丁寧に築きながら

「セキネユカ」の表現は刻とともに層を重ねていきます。

 


 

(第1回)マネージャーという仕事

(第2回)リロを知ることから始めた。

(第3回)堀田さんは違和感のない人

(第4回)自分をバリスタだと思ったことがない。

(第5回)セキネのお茶会

(最終回)セキネユカは表現者。

 


 

 

第4回
自分をバリスタだと思ったことがない。

 

ルダイ

先ほど、「自分のことをバリスタと言いたくない」とおっしゃっていましたが、それはどういった意味なんですか?元々バリスタだったと思うんですが。

 

セキネ

バリスタって、なんか「かっこいい」よね。

 

ルダイ

(笑)。そうですね、たしかに。

 

セキネ

「そんなものではないんだな、私は」という感覚があるんだよね。

常にお客さんとの関係の中にいるのがバリスタで、お客さんがいなければバリスタではないと思ってるのよね。

 

ルダイ

はい。

 

セキネ

お客さんから求められたものをそのまま出せるかと言われたら、そんなに種類を持ってないのよね、私は。

 

ルダイ

ほうほう。

 

 

セキネ

偏りがあると自覚しているし、コーヒーに好き嫌いを持ち込んでいる、ということは自分で理解しているから。

 

ルダイ

うんうん。

 

セキネ

それを理解した上で、バリスタではないな、私は。と思う。

 

ルダイ

なるほど。なるほど。面白い(笑)

 

セキネ

あはは。だから私は「コーヒーを淹れる仕事をしています」と言いたい。バリスタとなると一気に「そこまでできていない」と思ってしまうから、自分に対してもバリスタに対しても、それは言えない。

 

ルダイ

「バリスタ」という像がありますもんね。知識、抽出技術、サービスの方法、言い回し、気遣い、かっこよく見せること。ぼんやりと型がある気はします。そこに「好き嫌い」はなくて、客観的に、お客さんの為に。

 

セキネ

どれだけいいパフォーマンスができるかとか、どれだけいいコーヒーを淹れられるか、とか。そこを求めてはないんだなぁ。

 

ルダイ

でも「バリスタじゃないです」と言うのって勇気がいりますよね。

 

セキネ

本当?いるかなぁ。要らないでしょ。

 

ルダイ

要らないですか。

 

セキネ

だって違うんだもん(笑)。自分がやってることとバリスタ業が違うことだから、それは違うって言える。

 

ルダイ

こういうことはずっと思ってたんですか?

 

セキネ

「バリスタになりたい」とは思ってたよ。でも私がバリスタだとは一回も思ったことがない。

 

ルダイ

なるほど〜。「セキネユカやってます」ということですね。

 

セキネ

そうそう。コーヒーに携わっていて、肩書きが一緒じゃないといけないなんてことはないからね。なんでもそうだけど。

 

 

第5回「セキネのお茶会」へつづきます)

 

【リロのひと】セキネさん に戻る

【ルダイのルポライター手帖】トップページに戻る