2018,11,19
小さな頃、シルバニアファミリーで遊ぶのが好きで、それこそ人形達の耳がちぎれるくらい遊び倒した。他にもガン消し等の人形を与えると、その人形のフォルムに応じた人物設計を綿密に行い、各種の関係性や背景なども考えてストーリーを作っていた。粘土を与えてもずっと何かしらこねていたしゲームを与えようものなら、止めなければずっと寝ないでやっていたほど。とにかくオモチャで遊ぶことが得意だった。その後オモチャを自分で作りたいなと思った時期もあり、ゲームを作ったり新しいオモチャを考えたりもしたが、どうもあまり面白いと感じなかった。オモチャを作ることじゃなくてオモチャで遊ぶことが得意なんだなと子どもながらにぼんやりと感じていたような気がする。もちろん、オモチャで遊びなさいと強要されたこともなければオモチャでイヤイヤしぶしぶ遊んでいたなんてこともない。自発的にオモチャで遊んでいた。いつしか、歳を重ね、オモチャで遊ぶこともなくなり何が得意かなんて考える間もなく日々をがむしゃらに過ごした20代。得手不得意関係なく、考えもせず「何かやらなくちゃ。でも何がしたいんだろう。」不安に追われて焦って焦って転がり倒した時期を経て、今の仕事に出会った30代でふと、この幼少期の思い出がリンクしてむちゃくちゃ腑に落ちて心が軽くなり迷いが無くなった。仕事をオモチャとそのまま例えるともちろん語弊はあるのだが、「楽しむもの」という点では共通する部分が多い。人間、得意不得意があって当たり前で完璧な人なんぞまあおらず、足りない部分は他の得意な人がカバーすればそれで良い。大事なのは自分の属性を知ること。早く気付くことが出来ればアクションも早くなりやれることもたくさん増えると思う。オモチャで遊ぶのが得意なのかオモチャで遊ぶのが楽しいのかオモチャを作るのが得意なのかオモチャを作るのが楽しいのかはたまた好きでもないオモチャを無理やり与えられたいのか、与えられたオモチャの遊び方がわからないから触りもせずほっぽり投げるのか。一度じっくり考えてみても面白いんじゃないかなと思う。僕は大好きなコーヒーで遊ぶことが大好きだ。 Read More