小さな頃、
シルバニアファミリーで
遊ぶのが好きで、それこそ
人形達の耳がちぎれるくらい
遊び倒した。

他にもガン消し等の人形を与えると、
その人形のフォルムに応じた
人物設計を綿密に行い、
各種の関係性や背景なども考えて
ストーリーを作っていた。

粘土を与えても
ずっと何かしらこねていたし
ゲームを与えようものなら、
止めなければずっと寝ないで
やっていたほど。

とにかくオモチャで遊ぶことが得意だった。

その後
オモチャを自分で作りたいな
と思った時期もあり、
ゲームを作ったり
新しいオモチャを考えたりもしたが、
どうもあまり面白いと感じなかった。

オモチャを作ることじゃなくて
オモチャで遊ぶことが得意なんだなと
子どもながらに
ぼんやりと感じていたような気がする。

もちろん、
オモチャで遊びなさい
と強要されたこともなければ
オモチャでイヤイヤしぶしぶ
遊んでいたなんてこともない。

自発的にオモチャで遊んでいた。

いつしか、歳を重ね、
オモチャで遊ぶこともなくなり
何が得意かなんて考える間もなく
日々をがむしゃらに過ごした20代。

得手不得意関係なく、考えもせず
「何かやらなくちゃ。
でも何がしたいんだろう。」
不安に追われて
焦って焦って転がり倒した時期を経て、

今の仕事に出会った30代で
ふと、この幼少期の思い出がリンクして
むちゃくちゃ腑に落ちて
心が軽くなり迷いが無くなった。

仕事をオモチャとそのまま例えると
もちろん語弊はあるのだが、
「楽しむもの」という点では
共通する部分が多い。

人間、得意不得意があって当たり前で
完璧な人なんぞまあおらず、
足りない部分は他の得意な人が
カバーすればそれで良い。

大事なのは
自分の属性を知ること。

早く気付くことが出来れば
アクションも早くなり
やれることもたくさん増えると思う。

オモチャで遊ぶのが得意なのか
オモチャで遊ぶのが楽しいのか
オモチャを作るのが得意なのか
オモチャを作るのが楽しいのか

はたまた
好きでもないオモチャを
無理やり与えられたいのか、
与えられたオモチャの
遊び方がわからないから
触りもせずほっぽり投げるのか。

一度じっくり考えてみても
面白いんじゃないかなと思う。

僕は
大好きなコーヒーで
遊ぶことが大好きだ。