幼稚園の時の記憶って
不思議なもので結構
鮮明に覚えていたりする。
もう30年以上昔の想い出。
ある先生のことを
強烈に覚えているのだけれど、
その先生はいつもニコニコ笑顔で
キレイで声も明るくて、清潔感があって
人なつっこくて面白くて
初めて顔を合わせる園児も皆んな
好きになる容姿を持ち合わせていた。
でも、その先生を知っていけば知っていく程
強烈に厳しいことがドンドンわかっていって
何度も叱られたこともあった。
もちろんその厳しかったことは
嫌では無くて、今でも
記憶に残っているくらいだから
その先生が子供に行っていた教育は
少なくとも僕にとっては、
プラスに働いていたのだと思う。
そこでふと思うのが、もし
その先生の第一印象の良さが
全くなく、嫌われるタイプの先生だったら
その先生の言っていたことを
30年も覚えている程、
素直に聞けていたのかなということ。
全然笑わなくて声も暗くて
負のオーラをまとっている先生だったとしたら
まず近寄りたくもなかっただろうな。
そう考えると、
その先生の人あたりの良さは
計算づくの戦略だったのかなと
今となっては感じる。
第一印象や外見でマイナスなら
本当は素晴らしいモノやコトやヒトであっても
それがキチンと認識されないと思う。
認識されなければ、
結果素晴らしいモノやコトやヒトも
存在しないことになると思う。
僕たちが携わっている
コーヒースタンドという飲食業態は、
お客様との接点が瞬間で、
時間にして数分、人によっては数十秒
ということもあり得る。
瞬間芸だ。
そのたった何秒かの瞬間で
「話しやすい」とか
「話してみたい」とか
感じてもらわないと
僕たちがコーヒーを通じて
伝えていきたいことって
全く伝わらずに終わってしまうと思う。
たとえ強烈な信念があってもだ。
ただの
コーヒーという液体を
作って出す
だけなら、
機械の方が圧倒的に性能が良いことは
もう周知の事実。
自分達が
伝えていきたいことを
伝えていく為に、
まず大切なことを
改めて大切にしていきたい。